御津町
巨木探訪:御津町(補遺3)
「天神社のイチョウ」
昨年秋のイチョウ巡りに写真を載せたが、初探訪は「西武藤のエノキ」と同じく6月6日。
略図を頼りに探訪したが、すぐに発見できた。
県53沿いに車を停めると、堂々としたイチョウの姿は遠目からでもわかる。
樹行を開始した頃は遠目でイチョウを見分けることができなかったが、1年間でそれだけ見慣れてきたということであろう。
写真の通り、天神社は小規模な社なので、なるほど、これは地図には記載されていないのも無理はない。
天神社は伊田の“難波の殿様”が造ったと伝えられている。
幹周5.6m、樹高27m、樹齢350年。

                イチョウ  
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「華光坊のムクノキ」
地番もわかって略図があるにもかかわらず、昨年6月には発見できなかった樹。
それだけに何としてでも見つけたいと思っていたのだが、今回(6月5日)、ついに発見した。
近くの公会堂横に車を停め、一つ違いの地番の民家を目印に歩く。
(ムクノキの地番は680なのだが、この地番は地図上には表示されない。民家は679である。)
民家の西側の道沿いに空地があり、そこにはいくつかの石碑や墓らしき石が樹に囲まれて立っている。
しかし巨木はないのでスルー。
東側から民家の方を見ても巨木はない。
うーむ、今回も探訪失敗か…?
再び西側から民家に近づこうと思い、先ほどの空地の横手から入ろうとして、ふと傍らの樹を見た。
なかなか立派な根張り……その瞬間、すべてを理解した。
その石碑などの後ろに立っている樹こそ「華光坊のムクノキ」だったのである!
(要するに樹を裏側から見た、ということ)

なぜに今まで気づかなかったのか…それは堂々たる巨木を想像していたからである。
近づいてみると、主幹は裂けて消失し根元には焼けた空洞がある。
おそらく落雷に遭ったものであろう。
なるほど、これは盲点であった。
ちなみに平成14年の資料では樹高18m、昭和62年の資料では樹高27mと記されている。

この樹の名称の由来となった『華光坊さま』というのは、昔この地で伝染病が流行った時、ここを通りかかり御祈祷をしてくれたお坊さまで、この地で亡くなったのでここに祀られた、と言い伝えられている。

痛々しい姿になってしまっているが、葉もよく繁って樹勢は衰えていないようである。
幹周5.0m、樹齢300年。

    ムクノキ   ムクノキ
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