津山市加茂町
巨木探訪:〜加茂町(7)
さて、これ以降は消化試合のようなものである。

まず「清九郎墓谷のトチノキ」であるが、この樹の所在地は実に曖昧である。
所在地の地番は『倉見字天狗岩664-1』なのであるが、この地番は地図では表示されない。
(ゼンリンの住宅地図でも確認したが、こちらにも記載されていなかった。)
天狗岩は鏡野町との境界の山中にある岩なので、倉見の北方あたりには違いないのだが。
さらに『清九郎墓谷』であるが、これもこの土地の呼称なのであろう、いくら探してもそのような谷は見つからなかった。
また資料(津山名木百選)によると『倉見柳ヶ谷林道より北に200m山中に入った県有林の中』と記されているが、この林道がどの林道なのか、また周辺はほとんど県有林なのでどのあたりを指しているのか、皆目見当がつかない。
とりあえず県336から延長している大規模林道を北に進んで行ってみた。
(地図上では県336は先述の阿波村からの広域林道と交わる地点で終っている。)
ちなみにこの道はすばらしく広く、整備された道である。

走りながら『県有林』の入口を示す表示があると、車を止めて確認をしてみる。
しかしなかなかヒントはつかめない。
一帯の略図を書いた表示板もあり、いくつかの谷の名前も書かれていたが、清九郎墓谷の名前は無い。
繰り返しながら進んで行くと1ヶ所だけヒントらしきものが見つかった。
県有林に入っていく道の入口に立てられている表示板に『倉見664-1』の文字が見つかったのである。
しかしよく読んでみると、これは美作県民局の開発許可証で、許可内容は『表示板等の設置』。
ここから得られた情報は「清九郎墓谷には表示板がある」ということと、この場所が『根知』という地名だったので「ここより南に下った何処か」ということである。
とりあえず大規模林道を下って行くと、一本の林道の入口に『車両進入禁止』の表示があり、その下に小さい文字で「天狗岩・三十人ヶ仙」と書かれていた。
この道が正解なのかどうかはわからない。
しかしこれ以上のヒントはもう得られないので、とりあえず入口に車を置き、その道を登って行った。
周辺に目を凝らしながら200m以上は登っただろうか…しかし該当するような樹を見つけることはできなかった。

                ツクバネガシ

「清九郎墓谷のトチノキ」確認できず。
どなたか御存知の方がおられたら、御教授いただきたい。

トチノキの探索で思わぬ時間を取られてしまった。
この後は南下して帰路に向かいつつ、ちょっと寄り道である。
県336を下って行くと、2月末に鏡野町から加茂町を探訪した際に通った県75に合流する。
ここで前回分からなかった宇野地区の「加茂のアスナロ」を再度探索しようと思い、県75の方に入って北上。
今回は略図と簡単な説明もあるので所在地はかなり特定できている。
極楽寺のカヤを横目に見ながら宇野地区へ。
しかし地図を見ながら走っているうちに、このあたりの地理を思い出した。
民家の点在している地区を抜けて山の奥に向かう一本道…その右手に確かに一軒の民家があった。
アスナロはその民家の横の山道を入った墓地の一角にあるという。
ということは、そこを探訪すると倉見のヒノキの二の舞、すなわち民家の人に呼び止められる可能性があるということである。
それはもうこりごりだ。
そもそも「加茂のアスナロ」は「阿波のアスナロ」よりも若干小振り。
あえて探訪するまでもないか…と、自分に対して『酸っぱいブドウ』のような言い訳をして、省略することにした。

県75に引き返して塔中地区へ下る。
前回探索したが消えてしまったと思われる「柵原のケヤキ」を再確認。
やはりそれらしい樹は無く、これは無くなったのであろう。
最後に塔中から西側の中原地区へ。
地区の西端にある金刀比羅神社、これが本日の最終である。
細い道を登って行き、小高い丘の中腹の駐車場に車を停める。
しかしそこから見上げた石段はかなりの段数、もはや体力が続かない。
車でもうひとつ上の駐車場まで上がって行ったのだが、それでも境内まではそこそこの距離であった。
ここには名木百選のモミの巨木があるはずなのだが…社叢にはなかなか立派な樹が立ち並んでいるがモミは発見できなかった。
(注:その後の調査ではモミは石段の横にあるとのことであった。中腹の駐車場から石段を登ったら見つかったのかもしれない。)

丸一日かけた今回の探訪、得たものは多かったが気力と体力も相当に使い果たしてしまった。
帰路は県6から国53でゆるゆると帰った。


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