岡山市
続古寺巡礼その50 長楽寺
本日は操山周辺を回って最後は長楽寺で、この寺は山麓ではなく山上にある。
この寺は奈良時代に報恩大師が備前48か寺のひとつとして開基したと伝えられている。
江戸時代には山内に5坊あり、明治になって一山合併して総名を長楽寺としたそうである。
明治の初めに2度の火災に遭い大半の堂宇を焼失し、その後再興された。
現在の寺は、操山を南北に越える道路に面して峠の近くにあるが、前を車で通っても寺があることに気づかないくらいひっそりと建っている。
山門の仁王門は明治の火災を逃れたもので、江戸時代の建物。(写真1)
本堂は入母屋造りで、3方に外陣があることと、その外陣の縁に柱があって軒を支えている点などが、先ほど見た安住院の本堂によく似ている。(写真2)(写真3)
本堂の横には小堂が2つある。(写真4)
何のお堂かわからないが、真言宗の寺なのでどちらかは大師堂と思われる。

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