岡山市
続古寺巡礼その48 安住院
9月12日、安住院を訪問。
ここの霊園にわが家の墓があるため、この寺にはかなり頻繁に来ている。
この日の訪問で記載するのは、ずっと修理中であった多宝塔の修理が終わり、ようやく写真を取ることができたためである。
この寺は寺名を禅光寺と言い、奈良時代に報恩大師が整備した備前48か寺のひとつであり、安住院は本坊の名である。
戦国時代以後、代々の岡山城主である宇喜多氏、小早川氏、池田氏からの庇護を受け、往時は山内に13院があったと言うが、現在は安住院と普門院の2院となっている。
安住院は多くの歴史的建造物が残っており、境内のたたずまいもとてもいい雰囲気で、好きな寺である。
また、この寺はロウバイの名所であるため、季節は違うがロウバイの写真を載せておこう。(写真1)(1月30日撮影、なお、次の山門の写真と本堂の写真もこの時に撮影したものである。)
ロウバイの写真の後ろに写っている山門は室町時代中期の建立で、楼門としては県下最古のものと言われている。(写真2)
本堂は関が原の合戦後新しく岡山城主になった小早川秀秋が再建したもので、素朴であるが堂々とした建物である。(写真3)
多宝塔は元禄年間に藩主の池田綱政が後楽園の借景として建立に着手したもので、姿の美しさから見かえりの塔と呼ばれている。(写真4)
近くから見るとそれほど美しいとは思えないが、屋根が大きくて豊かな広がりがあり、遠くから見るとたおやかで見栄えがする。
なるほど、後楽園の借景として建てただけのことはある。
借景は自然の山などを作庭の際に景色の一部として取り込むものであり、古塔などの建築物を借景とすることはあるが、このように後付けの借景はたいへん珍しく、私の知る限りではこの一例だけである。
さて、この安住院の多宝塔で県内の江戸期以前の塔(五重塔1、三重塔14、多宝塔4)は全て古寺巡礼及び続古寺巡礼で紹介したことになる。

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